pocoの人生奮闘記

poco人生の奮闘を綴ったブログです。このpoco野郎!(笑)

ゆっくり ゆっくり

急がば回れ

焦りは禁物

 

この歳になって、この訓示の大切さがようやく骨身に沁みてきた様に思います・・・

 

俺はなんでも事を急ぎ過ぎる。なんでも結果を急ぎ過ぎる。

 

もっとゆっくり

もっともっとゆっくり

 

結論を急いだり焦ったりすると、上手くいくモノも上手くいかなくなる。

 

それから調節ね。

過度にやり過ぎることが多過ぎる。過度にやらな過ぎることが多過ぎる。

物事は適度に。

同じものばかり食べていたら、美味しいモノも美味しくなくなる。

同じことを繰り返していたら、楽しいモノも楽しくなくなる。

 

工夫をすること

悩むなかれ

工夫をしろ

工夫をしないのは横着だから。

怒るのは、思考が横着だから。

横着しないで工夫しよう。

 

どうすれば急がないで済むか。

どうすれば焦らないで済むか。

どうすれば会社を辞めないで済むか。

どうすれば痩せることが出来るか。

どうすれば統合失調症と上手く付き合っていけるか。

どうすれば糖尿病と上手く付き合って行けるか。

どうすれば苦手な人と上手くやれるか。

どうすれば楽しいか。

どうすれば幸せか。

どうすれば彼女が出来るか。

どうすれば結婚出来るか。

どうすれば子供をもてるか。

どうすれば家族をもてるか。

どうすればお金が貯まるか。

どうすれば独りで生きていても幸せか。

どうすれば中途覚醒が無くなるか。

どうすれば疲労を癒せるか。

とうすれば仕事が楽しくなるか。

どうすれば明るくいれるか。

どうすれば笑顔が増えるか。

 

悩むことなかれ・・・

工夫をしよう

工夫したことを焦らず急がず、ゆっくりゆっくりやってみよう。

怒るな 焦るな 急ぐな

 

人生とは、工夫を凝らせば、ほんとは楽しいものだと思うよ。

 

poco

悩むことと工夫すること

めちゃくちゃ久し振りのblog更新です(笑)

 

しばらく激鬱の日々が続き、会社も辞めようと思ったのですが、この2~3日は快適な夜を過ごせる様になりました。

 

先程気が付いた大切なことを記しておきたいと思います。

 

最近の私は、めっきり工夫することをしなくなった様に思います。

 

3年ほど前、貧乏のどん底だった頃、私は人生を楽しんでました。

毎日が楽しくて、こんな毎日が一生続けばいいなぁと思っていました。

あんなに貧乏だったのに、何故そこまで幸せだったのか?

それは、貧乏だからこその毎日の工夫がありました。

ママチャリで何処まで行けるか、公園の壁当てテニス、安くて栄養のある食事の自炊、メキメキ落ちる体重・・・

それはもう、ほんとに夢の様な毎日でした。

 

しかし、私はいつの間にか、その工夫を忘れ、悩む様になりました。

 

間違っているかもしれませんが、

悩むという行為はネガティブな方向で、工夫するという行為はポジティブな方向。

なんとなくそんな気がします。

 

嫌な店員が居たら、如何に苦痛でなく接することが出来るか工夫する。

会社が嫌なら、如何に楽しい環境にするか工夫する。

人生が楽しくないなら、如何に楽しい時間を過ごすか工夫する。

 

そんな工夫を、ここ最近の私は忘れていた様に思います。

 

人生は楽しいことで溢れています。

それは、あれこれ工夫する余地が沢山残されてるということではないでしょうか?

 

生き辛いなら、行き易い様に工夫する。

全ては工夫を凝らし、その工夫自体が楽しいのではないでしょうか?

その楽しみを、他人に易々明け渡してはいけません(笑)

だから、悩むことがあれば工夫に変えて、自分で試行錯誤するのが楽しみなのではないでしょうか?

 

捉え方の問題だったのかもしれません。

 

悩みも過去も、ネガティブな捉え方をしているうちは、自分にとって良いものにはならないのかもしれません。

 

これは無理やりやることではなく、自然とそうなれば良いのかもしれません。

 

その昔、僕は他人のおかげでポジティブでいられました。

しかし、その後の20年で、それでは駄目だよ!自分でやるんだよ!と教わった気がします。

 

統合失調症も糖尿病も、あれこれ工夫して、今より良くしていきます(*^_^*)

ダイエットだってそうです。つまらないダイエットより、楽しいダイエットの方が良いに決まってますからね(笑)

 

さて、それでは明日を如何に良い一日するか、工夫してみますかね(*^_^*)v

 

poco

思考の歪み

ふと思ったのですが・・・

 

僕が統合失調症になった一番の原因は、僕自身の思考の歪みにあったのではないかと・・・

 

勿論、見た目なんかでいじめを受けることはあります。僕も今思えば、昔いじめやハブられる対象だった為、必死で違う自分を演じ、苦しんだ記憶があります。

 

永い永い間、偽りの自分を演じ続け、自分に嘘をつき続けた結果、本当の自分との乖離が生じ、その結果統合失調症という精神病を発症したのではないでしょうか?

 

ありのままの自分をありのままに表現してこなかった場合、偽りの自分に覆われている為、根幹が成長しないのだと思います。そして、それは自分が成長しないことに気が付くが、偽りの自分という分厚いメッキを剥がすことが出来ず、苦しみながら生きていくことに繋がるのではないか?

 

僕は20年かけて偽りの自分を演じ続けました。

そして、20年かけて偽りの自分を破壊しました。

40歳を過ぎた今が、僕にとってのスタート地点なのかもしれません。

 

この世界は、この社会は、自分で思っている以上に懐が深いと思います。40年以上生きてきて思うのですが、ありのままの自分で生きれる環境が、必ずあるということ。その結果、自分が貧乏でも底辺でも良いのだと思います。

僕は世の中お金だ!と思った時期があります。今でも大半はお金でカタがつくと思うことがあります。

 

しかし、ありのままの自分で生きていくことだけは、お金と関係ありません。

 

僕はど貧乏な生活をしています。酷い年収と年金の補助、そして家族からの支援でなんとか生活が出来ている状況です。

でも、不思議と今が昔より幸せなんですよねぇ

こんなに貧乏なのに、障害者になったのに、この歳で独身で彼女もいないのに、昔より幸せなんですよねぇ

 

お金じゃないと言いたい訳ではありません。

でも、心の問題だけは、お金で解決出来ないこともあるんじゃないでしょうか?

 

丸裸になることは、もの凄く勇気がいることです。

はっきりいって、心身共にボロボロになります。

でも、僕は自分を信じたいと思っています。

人生の大半を、自分の成長の為に費やしたことが、必ず自分の幸せに繋がるということを。

 

勝手に今が人生の折り返し地点だと思っています。

 

後半戦は大輪の花を咲かせようと思っていましたが、今は細々でもこじんまりでも良いから、花を咲かせたいと思っています。

 

さて、この先の人生は後半戦です!

まだまだ紆余曲折があるとは思いますが、その場その場を嘘で乗り切らず、ちゃんと自分を出して社会からの評価を受けて生きていきたいと思います。

 

僕は幸せになります。

絶対幸せになります。

 

poco