グッドラック
先程ウォーキングしながら思ったのですが・・・
【運とは自助努力の副産物である】
こんなことを思いました。
平たく言うと、頑張ってなければ幸運の女神も微笑んでくれないよ!ってことなんですね。
これは不運にあった方を切りつけているのではなく、自分の甘えた部分をバッサリ切るつもりで考えました。
どうもですねぇ 僕は怒りが多いんですよ。
で、その怒りの根底にあるのが「当然」や「当たり前」という概念のようなんです。
これって気が付いてみるとなかなか危険な思考だと思います。
肯定されて当然、評価されて当たり前、他の人と同じ様に扱われて当たり前 等々。
不平不満の根底は、この辺なんじゃないかなぁ・・・
ここからしばらく私の怒り思考をつらつらと述べてみますね(笑)
やっぱり他人から否定や差別をされたらふざけるな!って思いますよ。
で、ここでシュミレーションをしてみる。逆のパターンね。
他人から否定されたり差別されたりするのが当たり前とする。
これは行き過ぎだと思うけど、俺みたいな奴にはやや極端な思考で中和する方が良い気もするんだよね。
だから、今まで散々差別されたり低評価をされたことを恨みから糧にしようと思います。
ではどうするか。
そもそも、相手が私を差別したり低評価する程の高みに居るのか?というこちらからの正しい評価も必要。
私は社会的地位やその環境でのヒエラルキーの上に居る者を、本来その立場に居るだけの人物であるかどうかを見極めているだと思う。そして、自分の判断は正しいと思う。また、そういう相手は私より上だと勘違いしていることを踏まえて対応する必要がある。
明らかに人間的に私より劣っているのに、何故私の上に立つか。
それは、その環境での力関係による。
要するに、仕事が出来るかどうか、それだけしか問われていない。
だが、頭の悪い人間はうんぬんかんぬん・・・ と続くわけだ(笑)
これな!
これ、俺多いんだよ。
確かに明らかに俺より人間的に劣っている人が上司だったりした。
馬鹿がマウントしてくることが多々あった。
しかし、最近独りの時間が圧倒的に増えた。
友達付き合いを極限まで減らしたことで、生活の質が格段に向上した。
自分と向き合う時間がようやく取れる様になったと思う。
この環境が整うのに40年以上もかかった・・・
ようやく自助努力が出来る環境が手に入り思ったのが、俺にとってどうしても必要な友達は一人もいないということ。
そして、俺はこの独りがとても居心地が良いということ。
何故なら、全ての時間を自分に費やせるから。
基本は自助努力、原則は自助努力。
やはりこれでしょ
大変な人生でした。
中学や高校なんて、勉強出来る環境にありませんでした。
ほんとにほんとに大変でした。
でも、地頭の良さは衰えていない様子。
あとはカタチにするだけだね。
頑張ろう!!
やるしかね~ずら!!
poco