pocoの人生奮闘記

poco人生の奮闘を綴ったブログです。このpoco野郎!(笑)

怒りについて

私は怒りに駆られて我を忘れてしまう時があります。

過去のこと、今のことなどで激昂し、頭の中で怒りが充満してしまいます。

 

よくあることで、今まで散々この怒りの衝動に苦しめられてきました。

 

ただ、今ふと思ったのですが、怒りが込み上げてきた時、または怒りで頭の中が埋まってしまっている時、怒りで満たすのではなく対策に頭を使うのが正しいのではないか?

 

その怒りについて、どう対策を打つか。

これに頭を使うことの方が、抜本的な解決になるのではないか?

 

過去の出来事に対する怒り

現状の理不尽や嫌がらせに対する怒り

 

私は喜怒哀楽の中で怒を司る生き物の様な人間でした。

常に怒りが付きまとい、それに振り回されてきました。

 

10年経っても20年経っても許せないことがあります。

ただ、その怒りに対する対策を打ったかというと、対策に頭を使った覚えがありません。

 

一つ一つを解決するのは難しいかもしれません。

フラッシュバックの様に怒りが込み上げてきて、気が付けば激昂して我を忘れてしまう。

 

以前ブログでも書いた「蘇る記憶の反すう思考」にも通じるところですが、復讐や報復は現実的ではなく、かといって忘れることが出来ない怒りの感情に対して、私は本当に対策を打ったのか疑問です。

 

賢い人はきっと既に自分の中でその怒りに対する対策が打てているのだと思いました。

 

具体的には会社に嫌な人が居たとします。

その人と今後も同じ空間で過ごすと考えると気が重くなりますが、極限まで接点を減らす対策を如何に打ったか。どれだけ工夫したか。そこに尽きるのではないでしょうか?

 

僕は環境を去ることも手段の一つだと思っています。ただ、その前にやれることを全部やったかどうかは重要になると思います。

 

過去の出来事に関してもそうです。

教科書に死ねと書かれたこともあります。誰が書いたかも判ってます。その相手に対して、今から復讐や報復は出来ません。ただ、その記憶に対する対策を如何に打てるか。私が出来ることは、それ以外にないことを理解し、しっかり対策するしかないのではないでしょうか?

例えばこの件に関して対策を打つのであれば、敢えてアウトプットしない。

今この件をアウトプットしたことにより、脳に記憶する回路が太くなりました。頭がきしみます。ということは、蘇った嫌な記憶は出来るだけ放置するのが良いのかもしれません。あ~でもない、こ~でもないと頭の中で囚われているより、思考が自然と次に移り変わるのを待つのがBESTなのかもしれません。

 

私もふと思っただけなので、個別具体的に対策を打てる程の上級者にはまだまだなれませんが、怒りに囚われてしまうより対策を打つ。それは思考を流すことも含めて必要なことだと思いました。

 

とにかく怒りは私にとって良くない感情であり思考であり、危険信号と言わざるを得ないと思っています。

 

これからは怒りが込み上げてきた時、その怒りに頭の全てを奪われない様な対策を打っていきたいと思います。

 

poco