険しい近道となだらかな遠回り
今ふと思ったのですが・・・
人生や目標には険しい近道となだらかな遠回りがあるのではないでしょうか?
この道は自分にとって越えられる、この道は自分にとって厳しい。
その判断の繰り返しなのではないでしょうか?
その都度どの都度、自分にとってBESTの判断する。
それは、日常の小さいことから訓練をする必要があるのではないでしょうか?
前に進む、後ろに下がる、左右に動く、上下に振る、または動かない。
きっと色々な選択肢があるのだと思います。
戦う、逃げる、笑う、怒る。
表現も選択の一つであり、その都度BESTな表現をする訓練をした方が良いのかもしれません。
ちなみに、私はこの40年以上、常に険しい近道を選択してきました(笑) その結果がこの体たらくなのですが、それでも気付けたことを素直に嬉しく思っています。
道は沢山あるんです。
でも、その道が自分にとって越えられるかどうか、その判断を正確にする必要があり、それが出来るのが成人な気もします。
私は今、一般的な会社ではなく、福祉の色が強い会社に勤めています。
何度も一般就労を試みました。
しかし、上手くいかない上に、周囲からは「まだ早い、課題が残っている」と言われます。
それがなんとなく判ってきた気もします。
たとえ私の様に精神病を抱えていても、必ず突破口はあると思います。
そして、今が今後の為の最適な訓練であることを感じます。
確かに今、私は遠回りをしています。
しかし、それはこの社会という大海原に出て、縦横無尽に泳ぎ回ることを諦めたわけではありません。
何年かかるか判りません。正直40を過ぎた私には、今さら時間など関係無いのかもしれません。
トライ&エラーを繰り返すかもしれませんが、小さなことから自分でBESTの判断をしていきたいと思います。
たかだか40歳程度で偉そうなことを言えませんが、場合によってはなだらかな遠回りが正しい選択の時もあることを、若い方には知って貰えたらなぁと思いました。そうすれば、私の様に15年も20年も費やす必要が無いので(笑)
さて、目下判断を下すのは、今からジムに行くか行かないかです。
さ~て、どう判断しますかね(*^_^*) ははは
poco