身体で学ぶということ
俺は頭が悪い。 痛感した。
頭が悪いから頭を使う。
そうじゃない。
今直面している苦手な仕事は、頭ではなく身体で覚えるもの。
細胞に浸み込ませて反射反応するものであって、頭を使ってやるものではない。
にも拘らず、頭を使ってその仕事に臨んでいたのは、馬鹿なだけではなく臆病だからだ。
頭の悪い人や臆病者は、得てして理論武装をする。それは弱者であり頭が弱く臆病であることの裏返しなんだと思う。
本当に頭の良い人は、物事を身体で覚えることを知っている。
頭の良さを学問や勉強が出来ることとイコールで考える頭の悪い人が多い。
違う。
本当に頭の良い人は聡明である。
俺は弱者で臆病で頭が悪い。だからその苦手な仕事も全て失敗する選択をしたのだと思う。
裸で仕事しろ。
今までみたいに頭で理論武装する様な臆病で弱い自分を脱却しろ。
この苦手な仕事に向き合うことで、ようやくそれに気が付くことが出来た。
教えて下さる方々の姿を見てわかってきた。
皆さん、身体が反応している。考えるというより、反射的にやっている。
それに比べて俺はどうだった? 日が浅いとか自分が障害者とか関係なく、頭や理屈の後ろに隠れて身体で覚えようとしてないだろ。
そもそもの姿勢が間違ってるんだよ。
やり直し
11月、この1ヵ月でなんとか身体に細胞に浸み込ませろ。
先月が無駄ではない。先月で浸み込ませたものも沢山ある。無駄ではない。
しかし、今月は姿勢を変えろ。身体でいくぞ。裸でいくぞ。
苦手な仕事で自分自身に線引きをするつもりでいる。
この苦手な仕事が駄目だったら、その時は全てにおいて障害者と認めざるを得ないと思っている。
俺は認めたくない。
稼働時間も日数も他の人より少ないとしても、健常者枠で働けると証明したい。
俺は出来ることがまだある筈なんだ。
あと、70も半ばにさしかかった両親を見ていて、身体で覚えたものは死ぬまで反射反応するのだなぁと思った。
頭で理屈をこねても、それは老後には通用しない様に感じ取れた。
もっと肩の力を抜け。
力むな。
力が入っているのは頭や理屈に逃げてる状態だ。それは健全な状態ではない。
遠い昔の俺は聡明さがあった。それはキラキラしたものだったが、歳を重ねる事に光が鈍り砕けて散った様にも思う。
しかし、核は死んでない。
まだまだ俺は光を放てると思っている。
残りの人生を使って嘘偽りない自分の核を磨いていこう。
昔の様な剥がれてしまうメッキではなく、正真正銘の自分自身を磨いていこう。
きっと出来るよ。
poco